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【日記 4月5日】ケガ
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 怪我。よく怪我するんすよねー僕。怪我とか交通事故とか、昔はよく起こしました。

 最初のデカイ怪我は小学校一年生の時。ウチの裏の農道をフラフラ歩いていたら2トントラックに跳ね飛ばされました。友達のS君と「じゃーねー」って言って別れたところまでは覚えているのですが、そこからの記憶がキレイサッパリありません。気が付いたら俺は田んぼの隅っこに寝ていて、夕方の空を見上げていました。立ち上がろうとしたのですが、体の各部に激痛が走り、起き上がれません。するとどこかのオジサンが走りよってきて俺を抱きかかえました。「家に帰る」僕はそう言ったことを今でもはっきり覚えています。「駄目駄目、耳から血が出てる」オジサンはそう言って僕は救急車に乗せられました。ここで気を失ったらしく、コレ以降の記憶は途切れます。
 入院中のコトは割りと覚えています。CTスキャンやらなんやら色々検査を受けたり、擦り傷のガーゼを剥がすのが凄く痛かったり、生まれて始めての車椅子が楽しかったりとか。
 印象的だったのは、僕の隣のベッドに入院していた子供。僕より一つ上の男の子で、鼻から管が出ていたりして、小学校1年の僕の目からみても重病そうだというのがわかりました。僕が一週間で退院するのを、羨ましそうに見ていたことを覚えています。

 これは後から聞いた話なのです。僕は結果的には一週間で退院できましたが、CTスキャンの結果、脳から出血していたらしく、翌日も出血が続くようなら開頭して手術だったらしいです。幸い、出血は止まっていましたが。
 今思えば、アレが原因でこんな変人になったんかな、と思わないこともありません。

 それから、僕のことを跳ねたトラックの運転手のおじさん。おじさんは入院している一週間の間、毎日お見舞いに来てくれました。おじさんの奥さんと、まだ抱っこされている赤ちゃんもお見舞いにきてくれたのを覚えています。そのときの僕は知ることはありませんでしたが、おじさんは会社をクビになっていたそうです。仕事中の事故ですし。子供が生まれたばかりで仕事を失う。人生のどん底だったでしょう。交通事故は怖いです。人間の一生を簡単に変えてしまいます。

 
 えー次のデカイ怪我は・・・小学校3年のときのチャリンコで大クラッシュかな。夏休み前日、終業式が終わった直後、テンションの上がっていた僕は、弟のマウンテンバイクで近所の駄菓子屋までアイスを買いにダッシュしました。弟のマウンテンバイクにはスピードメーターが付いており、最高速チャレンジにハマっていたオレは、メーター読み40?を目指してこぎまくりました。38?をを出したところで前方に友達が歩いているのが見えました。「おーい」僕が友達に呼びかけるとその友達は振り返り、何を思ったか僕の進行方向に出てきました。ABSの無いチャリンコでフルブレーキングしても止まれるワケも無く、コントロール不能となった僕とマシンは田んぼの藻屑と消えました。
 チャリンコを友達に引き上げてもらい、マシンと自分の体を引きずりながら家に帰る僕。幸いカーチャンが家におり、ソッコーで病院へ。右腕骨折。僕の夏はギブスが巻かれると同時に終わりました。

 同じ年の冬に、またチャリンコでクラッシュしました。同じチャリ、同じ道で。当時僕は、チャリンコ最高速チャレンジをケガとともに諦め、コーナーを攻めることにハマっていました。その道にはイイカンジのS字コーナーがあり、アウトインアウトで華麗に駆け抜けることに歓びを感じる変態少年でした。そのときは確か、郵便局に当時シュミだった記念切手を買いに行ったんじゃなかったかな。S字の2個目のコーナーのイン側にあったギャップで宙を飛び、またも田んぼに散ったわけです。今度は僕も「あ、こりゃ駄目だわ」とわかり、家にそろそろと帰って、「おかあさん、また腕折っちゃった。ごめんなさい。」と泣きながら言ったのを覚えています。病院で処置してもらっている最中も「僕は馬鹿だ」「なんでこんなドジなんだろう」と一人で言いながら泣いていたそうです。昔から内省的なんです僕。

 次は・・・小6ン時のスキーかな。ゲレンデの端っこに止まって、遅れて滑ってくるマサーシーを待っていると、「きゃああああああ」という女の人の声。何だと思い振り返ると、結構かわいいお姉さんのおっぱいが僕の目の前にありました。感触を味わうヒマもなく、弾き飛ばされる僕。なんだか足が、曲がってはいけない方向に曲がったような気がします。「ううううううううぅいいいいいぃ」呻き声を上げる僕。横でテンパって右往左往しているお姉さん。「ごめんなさぁいぃいいい」そこにマサーシー到着。「だだだ誰か人呼べぇ」そーして担架で運ばれた僕。日赤に救急車で運ばれましたが、幸い捻挫で済みました。

 中学時代は静かでしたが、高校でケガ癖が再発します。冬、雪のふる道を傘さし運転でチャリをこいで横断歩道を渡っていました。「ドン」鈍い衝撃が僕の腰に伝わりました。おっとっとてな感じで尻餅を着くことなくチャリンコから飛び降りるオレ。見るとジムニーが僕の腰に突撃してきたようです。当時、妙に喧嘩っ早かった僕は「何さらすんじゃボケ」くらいは言ったと思います。ジムニーから降りてくるオッサン。「いい今、救急車呼ぶから。」と言いながら、オッサンは手に携帯電話を持っているにも関わらず混乱し、近くのコンビニに電話を借りに行きました。オッサンが電話しに行っている間、僕はだんだん腰が痛くなり、自力では歩くことが出来なくなっていました。ゆっくりぶつかったとは言っても、1トン強の物体が体に与えた衝撃は大きいようでした。幸い打撲のみで済み、慰謝料やらなんやらで結果的にチャリンコは新品になるし、アレはおいしかった。

 その年の春、盲腸になりました。入院した4人部屋は、僕以外全員が75歳オーバーで、退院する頃には僕はめっきり老け込んでいました。

 今度はその年の初夏、チャリンコでまたスっ転びました。起き上がった僕は、左腕がクランク状に曲がっているのをみて、気を失いかけましたが、必死で腕をまっすぐに直し、固定して片手で携帯を取り出し救急車を呼びました。よっぽどデカイ音がしたらしく、付近の家の人が出てきて、救急車が来るまで手当てをしてくれました。複雑骨折の一歩手前のレベルで折れており、「手術しますか」と医者は言ったのですが、小学生のように「手術怖い」と僕が駄々をこねたので、長い時間がかかりましたが、ギブスを巻いて治しました。将軍にギブスに落書きされまくったのを覚えています。

 肩の脱臼は・・・数々の伝説をつくりました。最初は高校の体育中、バスケをしていてリバウンドを取りにいってガコっと外れました。近所の接骨院に連れて行かれて、そこでガコっとクルマのギアのような音がして治されました。他にも階段で滑って外れたり、バトミントンしてて外れたり・・・でも一番恥ずかしかったのは、サバゲ中にAK振り回してて脱臼かな。フィールドに救急車呼んだのも俺くらいでしょう。救急隊員にイロイロ詮索されて大変だったぜ。




ここ2年くらい静かなんだよな・・・そろそろなんかあるかも。
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【2006/04/05 20:47】 一言おおい君の日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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